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長谷川伸原作「瞼の母(1962)」より、鈴木兵吾、「舞妓はん」の元持栄美、「独立美人隊」の桜井義久が共同で脚色、「港に消えたあいつ」の市村泰一が監督した時代劇。撮影は「続・ニッポン珍商売」の倉持友一。
スタッフ
ストーリー
五つの時に別れた母を求めて、流れ流れて浅草にやって来た番場の忠太郎は、腕と気風のよい若者だった。浅草には、露店商人をいじめる松五郎一家がはびこっていたが、忠太郎はいつも松五郎一家に楯ついては、恋人の志乃の心配の種となっていた。時も時、浅草寺境内に芝居小屋をはっていたすみれ一座の座長が、何者かに殺された。生前松五郎に憎まれていたすみれを知る者は、松五郎の仕業とみたが、確証がなかった。忠太郎と志乃は早速、事件の追求に急ぎ、夜鷹のおたみから松五郎一家の仕業だと聞かされた。忠太郎が密かに追求しているのを恐れた松五郎は、すみれ殺しから手を引くことを条件に、忠太郎の母の居所を教えた。勿論、出たらめだ。しかし、十五年らい母を探す忠太郎は、松五郎の奸智に陥った。一方志乃はお鷹より、茶屋水熊の女将おはまが、十五年前貧困から子供を捨てたことを知らされ忠太郎の後を追った。今はもう、瞼の母に会うことのみを頭に描く忠太郎は、水熊に行き、女将おはまに会いたいと言った。おはまは、娘登世と何不自由ない暮しをしていたが、忠太郎の強要を、財産めあてのものと思って、すげなく追い帰した。今は母の姿に失望した忠太郎は、反抗心のとりことなって、再会に失望しながら帰途についた。が、おはまと忠太郎の激しい言い争いに気をきかせた茶屋の板前の知らせで、松五郎の待ちぶせに会った忠太郎は、怒りをぶちまけるように剣を抜いていた。兄忠太郎を追う登世の声も、今は、愛情にかられて後を追う母の声もなく、忠太郎は、志乃と旅立った。瞼の母が忠太郎をいつまでも励ますのだった。
仕様
その他
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