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獅子文六の原作を、広沢栄が脚色。「猫と鰹節」の堀川弘通が監督した親娘の愛情を描いたもの。撮影は「小早川家の秋」の中井朝一。
ストーリー
岩谷の娘麻理は大正十四年八月二十六日、横浜の産院で生まれた。妊娠八ヵ月の時に日本に帰り横浜で麻理を分娩したのは岩谷が三十一、妻のエレーヌが二十七の時である。岩谷の最初の妻であるエレーヌはフランス人で、中部フランスの小さな町の小学校長の娘であった。帰国した当時、子供をかかえきまった職もない岩谷は遺産を売って家族を養っていたが、それも次第に底をつき経済的に不安な日々が続いた。やがて岩谷の仕事も増え、ようやく経済的に安定したころには、麻理も六つの新年を迎えた。そんなある日、エレーヌは病気にたおれた。妻をフランスの実家で療養させるため、岩谷は麻理を姉夫婦にあずけてフランスへと旅立った。そして半年、一向快方に向わぬ妻をのこして岩谷は日本へ帰って来た。その日から娘と私の生活がはじまった。素直に成長した麻理は、今では白バラ学園に入学し、父娘は平穏無事な毎日を送っていた。それを突然破ったのは、妻エレーヌの死亡通知だった。伯母から再婚をすすめられた岩谷が気のすすまぬまま見合いしたのが千鶴子だった。彼女に好感を持った岩谷は再婚にふみきった。ややもすると世間から冷たくみられがちなハーフの麻理を、千鶴子は吾が子のように愛し、岩谷には、献身的につくすのだった。そして幾歳月、彼女の宿顔であった海の見える家を建てられるまでに岩谷は成功した。だが、いよいよ新築の家へ移るのも間近いという時、糟糠の妻千鶴子は脳血栓で急逝した。そして娘も外務省の男と結婚、母の眠るフランスへ赴任する夫と共に、日本を離れていくのだった。
仕様
その他
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