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落語の「芝浜」から材をとり、「母と娘(1961)」の成澤昌茂の脚本を「東海一の若親分」のマキノ雅弘が監督したもので、撮影も同じく坪井誠の担当。
出演者
ストーリー
久兵衛長屋に住む魚屋勝五郎は竹を割ったようなさっぱりした男だが、酒好きとなまけ癖が玉にきず。今日も恋女房おはまに泣きつかれてしぶしぶ早朝の芝浜へ仕入れに出かけた。勝五郎はその帰途、百両の大金を拾って帰って来た。早速、長屋一同に大振舞、酔って寝てしまった。起きてみてびっくり仰天、金を拾ったのは酔った果ての夢だったからだ。おはまに意見された勝五郎は真面目に働くことになった。だが、今度は妹お菊が夜な夜な勝五郎の枕元に現われ出した。六年前お菊は、旗本青山播磨に見染められてお屋敷奉公にあがり、今では播磨の愛をうけて幸福に暮らしているはずだ。何度もお菊の幻影に立たれる勝五郎はさっぱり商売に身が入らない。それもその筈お菊はすでにこの世の人でなかった。青山家が将軍家より拝領した赤絵の高麗十枚皿の中、一枚を割ってしまった播磨の罪を引きかぶって手討ちにあっていたのだ。お菊を斬り、苦悩と憔悴に明け暮れる播磨は、泰平にあって身のおきどころのなさを、町奴との喧嘩にうっぷんを晴らしていた。直参旗本は幕府新政策によっては無用の存在で、継子同様の扱いを受けていたのだ。お菊の死を、青山家用人から聞いた勝五郎は青山邸に乗り込んでいった。だが、播磨がお菊を心から愛していることを知った。勝五郎はうなだれる播磨をみて黙って引上げた。それから数日後、旗本と町奴の大喧嘩が持ち上った。無用の旗本家取りつぶしはこの時とばかり、と幕府も役人をさしむけた。それを知って播磨は山王下の修羅場にかけつけ斬死した。--お菊と播磨の菩提を弔う勝五郎夫婦に、大家の久兵衛がにこにこしながらいつか勝五郎が拾った革財布を手渡すのだった。落し主がでないので奉行所から下げ渡されたのだ。おはまが、こんな大金を持っていては勝五郎のなまけ癖が直らないと、大家と相談して奉行所へ届けておいたのだ。
仕様
その他
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