日本映画情報システムは、日本映画情報(1896年~2022年12月劇場公開の日本映画作品(映倫審査作品)に関する情報)を検索することが可能です。
◎こんな方は・・・
・タイトル、出演者、スタッフなど複数のキーワードに当てはまる検索結果を出したい
・複数ある検索結果を公開年順、配給会社別などに並べ替えたい
⇒【詳細検索】をご利用ください
◎検索について詳しく知りたい方は「検索システムの使い方」をご覧ください。
複数の条件を指定して、 検索するページです。
林不忘の原作を、松村昌治と直居欽哉が脚色し、「赤穂浪士(1961)」の松田定次が監督したおなじみの時代劇。撮影も「赤穂浪士(1961)」の川崎新太郎。
スタッフ
出演者
ストーリー
女房気取りの櫛巻お藤、息子気取りのチョビ安に囲まれて、鼓の与吉などと賭場通いを続ける丹下左膳は或る日、盲の娘お光をやくざの手から救った。お光は作爺と呼ばれる彫刻師作阿弥に育てられていた。お光の目が百両あれば治せるという話を聞いて左膳は百両集めにひたむきになった。その頃、日光東照宮御修築奉行が伊賀の柳生対馬守に決まった。幕府隠密総取締の愚楽老人や大岡越前守らが柳生家に名宝こけ猿の壷ありとみて善意から推薦したのだったが、実際の柳生家は裕福でなくしかも対馬守の清廉な性質のため、収賄好きの老中本多淡路守に嫌われ腹心の別所信濃守を副奉行として対馬守を苛め始めた。対馬守の弟で伊賀の暴れん坊源三郎は、司馬道場の娘萩乃と婚約していたが兄の身を心配していた。その萩乃に師範代の峰丹波が邪恋を抱いていた。淡路守と信濃守は黄金の神馬を作ると称して対馬守に金策を命じ、その実木馬を作って対馬守に詰腹を切らせようとした。これには源三郎の動きが邪魔であった。峰丹波では源三郎を倒せないと知って彼らは左膳を百両で殺し屋として雇った。日光へ発った源三郎を追って、左膳は百両を医師道庵に託して発った。日光へ着いた左膳は与吉の手引きで源三郎と対決した。その時丹波が萩乃を縛り短刀をつきつけて現われた。源三郎は刀を捨てた。仲間の汚いやり方に左膳は丹波を倒し萩乃を救った。左膳と源三郎は手を握りあった。一方、お光の目の手術は成功したが、神馬を彫らせるため淡路守はお光と作阿弥を日光に拉致し、お光を人質として作阿弥に神馬を作らせた。完成した後、証拠イン滅を計って二人を殺そうとしたが、お光が対馬守の隠し子であると聞いて殺害を延期した。大岡越前守、愚楽老人の秘かな努力で十万両の金策ができた。対馬守が日光に到着する日、信濃守はお光をおとりに対馬守殺害を企んだ。与吉からこの総てを知った源三郎と左膳は、信濃守の罠の中におどり込んだ。その修羅場へ、奉行大岡越前守も役人を従えてのりこんで来た。左膳と源三郎の剣に、悪人は次々と倒されていった。
仕様
その他
Copyright© 2014 文化庁 All rights reserved.