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館直志の『網の上の人生』を、「風雲将棋谷(1960)」の民門敏雄が脚色し、「東海道ちゃっきり娘」の加戸敏が監督した、旅芝居の一座に材をとった人情時代劇。撮影は「怪談累が淵(1960)」の竹村康和。
出演者
ストーリー
武州熊谷の宿、旅芝居の市川新五郎一座が小さな掛小屋にかかっている。新五郎は団十郎の甥だが、女のいざこざから勘気をこうむって田舎廻りに身を落していた。新五郎の守り役で一座の師匠番のような形になっているのが、馬の足の海老助である。海老助は息子の与七と馬の足コンビを組んでいたが、彼は馬の足役者の与七にも団十郎仕こみのきびしい芸を教えていた。実は、与七は海老助の実の子ではなかった。この宿の大親分で、一座の興行元でもある釣鐘の弥市が、二十五年前、賭場の借金につまり赤ん坊の与七を海老助に預けた実の父親だった。今は大親分になった弥市は、与七が欲しくなった。新五郎が中にたち、実の親につくか、養い親につくかは与七の気持次第ということになった。江戸の河原崎座が全焼したという知らせが入った。江戸の桧舞台を踏むあてのつかなくなった与七は、弥市の許に去った。海老助は、悲しみを酒にまぎらわした。一座は江戸へ出た。河原崎座は新築の真最中で、団十郎はあなたが送ってくれた金のおかげと礼を言った。与七がしたのだった。河原崎座のコケラ落しに、晴れの舞台にのぞむ海老助の心は晴れなかった。馬の胴に入った海老助は舞台にかかった時、いつもとちがった相棒の後足の動きにハッとした。与七が入っていたのだ。親子は、晴れの舞台を涙を流しつつ、踊った。
仕様
その他
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