日本映画情報システムは、日本映画情報(1896年~2021年11月劇場公開の日本映画作品(映倫審査作品)に関する情報)を検索することが可能です。

◎こんな方は・・・
   ・映画のタイトルが分っていて、出演者を知りたい
   ・あの映画シリーズの全タイトルを知りたい
   ・あの監督が撮った作品の全タイトルを知りたい
               ⇒【キーワード検索】をご利用ください

◎こんな方は・・・
   ・タイトル、出演者、スタッフなど複数のキーワードに当てはまる検索結果を出したい
   ・複数ある検索結果を公開年順、配給会社別などに並べ替えたい
               ⇒【詳細検索】をご利用ください

◎検索について詳しく知りたい方は「検索システムの使い方」をご覧ください。

キーワード検索

作品詳細

いつか来た道(1959)
イツカキタミチ

作品名でWeb検索する
カテゴリー
劇映画 
公開年月日
1959年05月27日 
製作会社
大映東京 
配給会社
 
レイティング
一般映画  
英語名
The Path I Remember  
上映時間
98分  

ウィーン少年合唱団の二度目の来日を記念して製作された音楽映画で、「女の教室」の共同執筆者・長谷川公之と島耕二のオリジナル・シナリオを、「細雪(1959)」のコンビの島耕二が監督し、小原譲治が撮影した。ウィーン少年合唱団が出演している。

スタッフ

製作
武田一義
脚本
長谷川公之島耕二
監督
島耕二
撮影
小原譲治
音楽
大森盛太郎
美術
後藤岱二郎
照明
久保田行一
録音
長谷川光雄

ストーリー

池田さやは甲府市外で葡萄園を経営している。両親を失って以来、祖父と弟・稔、妹・みよたちの母がわりで生きてきた。稔は身体障害者だった。生きる自信を与えたいと、さやは彼に有名な音楽教室でバイオリンを習わせた。音楽家を志した父の遺志もあった。点字楽譜を作ったりした彼女の努力はむくわれ、稔は腕を上げていった。さやには二人の理解者がいた。市役所の観光課につとめる実直な青年・小倉と、葡萄酒社の若主人野口である。--ある日、稔はみよと兄妹げんかをした。みよが亡父のバイオリンにさわったからだ。彼女が野口にバイオリンを習い始めたのを知らなかった。さやは配水場の中で無心に弓を動かす妹を見つけた。みよはさやの愛情が兄だけに注がれるのが淋しかったのだ。さやは稔に気をかねて、みよのバイオリンをやめさせようとした。が、稔はぼくと競争でやろうと、喜んで合奏したのだ。--オーストリアから一枚の絵はがきが届いた。稔のペンフレンドの、ウィーン少年合唱団のヨハン君が来日すると報せてきたのだ。が、その直後、稔は高熱におそわれ、急性白血病と診断された。生命は時間の問題だった。--一年前に、少年合唱団が来日したとき、稔はその合唱に感動し、小倉を通じてヨハン君とペンフレンドになった。さやは弟のために合唱団を羽田に出迎えた。弟が生きているうちに、もう一度、合唱をきかしてやりたかった。が、スケージュールはつまってい、甲府公演を早めるわけにはいかなかった。日取りの早い静岡公演を甲府とさしかえるほか、稔の生きてるうち間に合う手段はないのだ。この不可能に近いことを、さやは実現させようとした。合唱団も放送局も協力した。団員の輸送には、両県の交通公社が一役買った。甲府公演が実現し、合唱団は病床の稔のために歌った。稔は自分がバイオリン用に作曲した“この道”を弾いてきかせたかったと残念がった。そのまま、彼は息をひきとった。--公会堂で、合唱団は稔の作曲をみよの伴奏で合唱したいと申し出た。演奏するみよの姿が、舞台の袖でみつめるさやには、涙のゆえか、どうしても死んだ弟に見えてしかたがなかった。

仕様

  • カラー/モノクロ: カラー
  • 映写フォーマット: フィルム /35mm /シネマ・スコープ(1:2.35)
  • サウンド: モノラル

その他

このページのトップへ

  • 検索システムの使い方
  • お問い合わせ

お知らせ

[2021/11/29]

映画情報を41件更新しました。

[2021/10/27]

映画情報を39件更新しました。