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佐々木味津三の原作を、「伝七捕物帖 女肌地獄」の高岩肇と「殿さま弥次喜多 捕物道中」の共同執筆者鷹沢和善が脚色、同じく「殿さま弥次喜多 捕物道中」の沢島忠が監督した大友柳太朗の右門橋物帖シリーズの第一作。撮影は「いろは若衆 ふり袖ざくら」の伊藤武夫。
出演者
ストーリー
むっつり右門こと近藤右門とその腰巾着おしゃべりの伝六は、江戸名物首尾の松に五つの首吊り死体が発見されるという事件に出くわした。五人は、それぞれ弓づるで殺されていた。右門と伝六は弓づるの出所と思われる大弓堂に乗りこんだ。主人は右門に抵抗を示したが、この時どこからともなく飛んで来た矢に当って落命した。逃げ出した番頭も、伝六が見つけた時には、椎の実を握って殺されていた。その中からは、一枚の地図が現われた。その頃、自身番に引きとられた五つの死体が盗まれた。そのあとには「返上仕候片眼の狼」と記された紙片が残されていた。老中松平伊豆守に事件のあらましを告げた右門は、伊豆守から五つの死体は消息を断っていた将軍家御庭番の変り果てた姿であり、五日の後に控えた将軍寛永寺参詣に備え、諸大名の動静を探っていた者たちだと知らされた。「片眼の狼」は、将軍の命か伊豆守の失脚かを狙っていたのだ。右門は一味の本拠と思われる大川端の医師玄庵の家を探った。そこで印籠を手に入れたが、これは伊豆守によると日向高鍋藩主・藤堂但馬守の物であり、但馬守は二年前より難病に取りつかれ明日をも知れぬ身であるという。だが、玄庵、但馬守両者を結ぶ線は出て来ない。将軍寛永寺参詣の当日、今はこれまで、虎穴に入らずんば虎児を得ずと意を決した右門は、伊豆守名代として単身但馬守下屋敷に乗りこんだ。右門は名薬と称して、例の印籠を但馬守に渡した。驚く但馬守の顔に手をかけた右門、その中から出て来たのは玄庵の顔である。--青い空に真紅の毛槍が舞い上り、将軍の行列が進む。寛永寺参道では、右門らが感無量の面持で出迎えた。
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