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「楢山節考(1958)」の深沢七郎の同名原作から久里子亭が脚色、「満員電車」の市川崑が監督、「最後の脱走」の山田一夫が撮影した東宝スコープ、文芸篇。主演は「生きている小平次」の芥川比呂志のほか、伊豆肇、左卜全、千秋実、藤原釜足、浪花千栄子、三好栄子、東郷晴子などのベテラン陣。
出演者
ストーリー
山また山の東北の貧しい村。狭い田畑は長男が継ぎ、次、三男は飼殺しのヤッコと呼ばれてボロを着せられ、嫁ももらえず、髯を剃ることも禁じられ、ただ働くだけである。髪も髯も伸び放題なのが神武天皇を思わせるから、ズンムとも呼ばれる。二十二軒のこの村に十数人いるヤッコのうち一番馬鹿にされ嫌われているのは利助ズンム。何故なら彼の息は悪臭を放ち、まともに話でもしたらヘドを吐きたくなる位だったから。「くされ」と呼ばれるゆえんだ。秋に三角屋敷の父っさん久吉が死んだ時、女房のおえいに遺言した。かつて久吉の父は久吉の妹をはらませたズンムを叩き殺したことがある。父も久吉もこんなに苦しい死に方をせねばならぬのは、そのズンムの祟りに違いない。おえいはその罪亡しに村のズンム達を一晩ずつ花婿にしろと命じられたのである。忠実なことに、おえいは早速それを実行した。「くされ」の利助ズンムも胸をわくわくさせて待った。おえいはなかなか迎えに来ぬ。いつも彼の家の前を素通りする。そして口惜しいことに、彼の番になっても迎えはこなかった。おえいは臭い彼を敬遠したのだ。利助ズンムは失望落タンのあまり、馬を蹴飛ばしたり稲を引っこ抜いたりした。兄の太助は心配し女房のアサを提供したが、利助ズンムにはもうそんな勇気はなかった。おかね婆さんが山の向うの娘っ子だけの村の話をこっそりしてくれた。昔、この村のヤッコたちもその村を目指して山越えしたが、一人も帰ってこなかったという。北の山が越えられるかどうかも判らぬ。「おらァ山越す」利助は顔を輝かせた。冬の夜、ヤッコたちに見送られ、利助ズンムは一人で雪と氷の山へ登って行った。その山の背から月がのっそりと出てきた。
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