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作品詳細

少年姿三四郎 第一部山岳の決闘 第二部大川端の決闘
ショウネンスガタサンシロウダイイチブサンガクノケットウダイニブオオカワバタノケットウ

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カテゴリー
劇映画 
公開年月日
1954年04月13日 
製作会社
東映東京 
配給会社
 
レイティング
一般映画  
英語名
 
上映時間
分  

富田常雄の原作より窪田篤人と青木義久が共同で脚色した柔道映画で「続々魚河岸の石松 大阪罷り通る」に次いで小林恒夫が監督し、撮影は「死の追跡」の佐藤三郎、音楽は「さらばラバウル」の塚原哲夫。出演者は「学生五人男」の波島進、「秩父水滸伝」の月丘千秋、「放浪記(1954)」の船山汎などである。第一部は1954年4月13日公開、第二部は1954年5月25日公開。

スタッフ

企画
松崎啓次
原作
富田常雄
脚色
窪田篤人青木義久
監督
小林恒夫
撮影
佐藤三郎
音楽
塚原哲夫
美術
中村修一郎
照明
伊藤ケイ市
録音
岩田広一
時代考証
石黒敬七
舞踊振付
矢田茂

出演者

ストーリー

第一部--明治十四年春、奥州会津。少年姿三四郎は磐梯山に住む元会津藩の柔術指南大曾根俊作の許を尋ねて、柔術修業の第一歩を踏みだした。俊作には俊平という息子があり、その俊平を相手に連日三四郎の激しい稽古が続いて、やがて彼の技は俊平を凌駕する程となった。その頃山に巣喰う源次等の山男達は事々に俊作父子に云いがかりをつけ、三四郎は彼等の挑戦に応じて幾度か争い、或る時は町で旅芸人歌江を助けた事もあった。そうした或る夜、三四郎は俊平が女(お俊)である事を知った。その三四郎の驚きが消え去らぬ日、俊作の許へ東京の修道館の戸越雄一郎が他流試合を申し込んで来た。俊作は辛うじて戸越を破ったが、それ以来新しい柔術の道を説く修道館主矢野正五郎の名は三四郎の胸にやきついた。たが或る日俊作は源次に倒され、三四郎は源次を打ち果した。やがて俊作の葬いも済んだ頃、三四郎は修道館入門の希望を抱き、お俊に見送られて独り東京へ旅立って行った。第二部--三四郎は東京へ到着早々、スリから取り戻した財布が縁で、零落した元旗本の母娘(その、佐代)と知り合い、左代の奉公先料亭“菊川”へ住みつく様になった。彼は法律書生佐伯に励され乍ら正五郎の手伝をして貧しい佐代母娘を援けたが、或る時、自由党幹部宗方勲が刺客に襲われた現場を目撃した。すぐ様彼は刺客をとらえて警羅に渡したが刺客はその場で自害した。その刺客こそ、暗殺団結城鉄之介にそそのかされた佐代の兄謙造である事を知った三四郎は、苛責の念に浅草を放浪し、しがない芸人に身をやつしたお俊と邂逅した。だが佐代の事を知ったお俊は自分の慕情を断って三四郎に佐代の許へ帰る様励ますのだった。その夜かねてから三四郎に恨みを抱いていた大月道場の一門は鉄之介を主魁として三四郎を誘い出し闇討ちを仕掛けた。三四郎は死力を尽して闘ったが忽ち危機は到来した。その時、矢野正五郎が駈けつけた。不敵な鉄之助一味も正五郎の秘術には敗退した。闘い済んだ大川端に初めて正五郎の姿を認めた三四郎は、今こそ柔術に生きる決心をし、修道館目指して正五郎の車の梶棒を握った。佐伯と涙に濡れたお俊、佐代が三四郎を見送っていた。

仕様

  • カラー/モノクロ: 白黒
  • 映写フォーマット: フィルム /35mm /スタンダード(1:1.37)
  • サウンド:

その他

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