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アンコールワットに魅せられた一匹狼の報道カメラマンの生と死を描く。一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨナラ』と一の瀬信子の『わが子泰造』をかがみおさむが脚本化、監督は渡辺範雄、撮影は「この子を残して」の岡崎宏三がそれぞれ担当。
スタッフ
ストーリー
1972年1月20日、一ノ瀬泰造は故郷・武雄の母親の元へ「ベトナムへ行く」と電話を入れて羽田を発った。報道写真家を目指す彼にとって、ベトナムの戦場こそが一度で名を挙げるチャンスのある場所だった。一匹狼で何のコネもない泰造は、直接ベトナムへ入ることは出来なかったが、途中寄ったプノンペンで接したカンボジアの人々の暖かい人柄と、望遠レンズで見たアンコールワットの偉容に強く引き付けられた。そして、漸くベトナム入りし、成功への近道である「ピューリッツァー賞」を狙って、戦場でがむしゃらに写真を撮りまくる。次第に“戦争カメラマン”として認められるようになった泰造は、「UPI月間賞」を取るまでになった。ベトナム戦争も一段落し、次の彼の狙いはアンコールワットだった。ある日、泰造は帰国し、東京で恩師や先輩や親友と旧交を温めると、ふらりと武雄にやって来た。突然の帰郷に、父・清二、母・信子も姉たちも驚き喜ぶと共に、その理由を次姉・淑乃の結婚式の為だと思ったが、彼は式には出席せずカメラを持つと焼き物の町・有田へ出かけた。学生時代の泰造の習作の一つが「有田の匂い」だった。その時、名匠柿右衛門の所で知り合った陶芸家志望の仲川郁子と再会する。泰造は目を輝かせ、自分の抱負を郁子に語った。数日後、弾丸が貫通して不気味に穴の開いたカメラを残して、彼は両親に別れを告げ、再びベトナムへ発った。ベトナムやプノンペンから幾つかの写真記事を送った泰造は、最大の目標に向かう決意に燃えて、カンボジアの夕景を眺めた。彼は一人、アンコールワットへ向かって歩き出した。「もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!」泰造は再び帰って来なかった。
仕様
その他
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