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放浪の天才画家、山下清の生涯を描く。山下清の原作「裸の大将放浪記」の映画化で脚本・監督は「ヒロシマのたたかい はだしのゲン PART3」の山田典吾、撮影は「遠い明日」の原一民がそれぞれ担当。
スタッフ
出演者
ストーリー
父親のいない清は知恵おくれの子で、家は貧しく、小学校ではいじめられてばかりいた。「もっと強くなっておくれ」と母の言葉に発奮した清は、いじめっ子たちをやっつけ、危険な不良児童として、教護施設、八幡学園に入れられた。そこで、清は貼絵でその才能を発揮、やがて安井曽太郎画伯、式馬隆三郎先生に認められることになった。清はきめられた生活に飽き、放浪の旅に出る。十八歳だった。「ボ、ぼくは頭は悪いし、体は弱い。しかし、一所懸命働きますから、使って下さい」と湯川家の下働きとなる。子供たちにバカにされ一年が過ぎると、また清は旅に出た。兵隊検査も我れ関せず、山の見える鉄道線路を、背にリュック、下駄ばきスタイルの清が行く。駅の待合室を仮の宿にユウユウ自適ののんびり暮しだ。その頃、清の作品がアメリカの雑誌「ライフ」に注目され、新聞は日本のゴッホはどこにと書きたてた。鹿児島で発見された清は、以来、日本中に名を知られ、過密なスケジュールに追われる身となった。「山下清」展は全国各地で開催され、自分と同じ知恵おくれの児童に絵を教えた。清、四十九歳のとき、高血圧で倒れた。病状は少し回復したが、数日後、再び倒れ、そのまま永眠するのだった。清の遺体に取りすがる母は泣いた。「清、お前はお母さんの誇りだったんだよ……」山下清は天国への放浪の旅に立ったのだ。山下清は今もなお生きている。多くの人々の心の中に……。
仕様
その他
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