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「ザ・スパイダースのゴーゴー向う見ず作戦」の倉本聰がシナリオを執筆し、「めぐりあい(1968)」の恩地日出夫が監督したドキュメンタリー・タッチの青春もの。撮影は「喜劇 駅前火山」の黒田徳三。
ストーリー
社会部記者の五代健吉は戦乱のさなかにあるベトナムから取材を終えて帰国した。硝煙と、殺戮のベトナムにくらべれは、東京はまさに天国のようなものであった。五代はしばしの間、その平安の中に身を浸した。マンガを読んだり、タバコをふかしたりする所在のない五代は、ある日、後輩の村井から週刊誌のアルバイトを紹介された。そのアルバイトというのは少し変っていた。週刊誌の編集長由井の話によると、浅草のゴーゴー・バーで殺人を犯した少年乙三が自殺を予告して新宿に潜んでいるので、その内面的な変化を、囮を使って取材してくれ、というものだった。五代は新宿の街を歩いた。そこには現代日本の集約された姿がある。五代は、ジャーナリストが、この現代日本を的確に評して昭和元禄と名づけたことに感心した。五代は乙三の所在をつきとめると、囮を雇った。それは三流ファッション・モデルの木塚ユリである。乙三も、ユリもこの時代を代表する若者であった。ユリは、ゴーゴー・バー「穴の中」で乙三に近づいた。若者同士が接近するのは早い。二人はとりとめのない会話を交しながら、バーからスナックへ、そして夜の舗道を歩いた。小さなモーテルへ泊った二人は、自然の成りゆきのように交った。ユリはそんな乙三の内面の声を聞き出し、五代に報告しはじめたが、いつか乙三に対する偽りの愛が真実の愛に変っていた。そうなると、五代に送るレポートを書くことが馬鹿らしくなった。そのうちに、それがもとで乙三と争うようにもなった。一方、乙三は五代と村井にあって、ユリが囮であることを確認した。その日、ユリは九十九里浜で撮影の仕事があったが、その現場に、乙三の乗った車が疾走して来た。乙三は一瞬、車を止めてユリを見、再び疾走していった。その行手は断崖だった。乙三の名を絶叫しつづけるユリの目の前で、車は猛然と転落していった。翌日の新聞に小さな記事がのった。「殺人少年、自動車事故で死ぬ」、そしてそのとなりには、「ショロン地区で今朝三百人死亡」という記事も。
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