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獅子文六の同名小説の映画化で、空襲で母と別れた少年の物語。「橋(1959)」の柳井隆雄が脚色し、新進の野崎正郎が監督した。撮影は「幸福な家族」の森田俊保。
ストーリー
昭和二十年、生々しい戦災のさなか新太郎少年は父の郷里、広島へ疎開するため東海道を走っていた。父健三が外地に出征していたので母春子の働きでは生活が苦しかったのである。ところが途中列車が空襲のため、急停車した。逃げる途中新太郎は大切な紙片を紛失してしまった。困惑する新太郎を慰めたのは車中で知り合った顔の長い小杉朝雲であった。朝雲は「地面は暗いが、空はあんなに明るく広い。星を見ていると戦争が馬鹿らしくなる。元気を出せ!」と云って励ました。始めはなじまなかった新太郎もなついて、二人は仲良しになり、二人で朝雲の田舎四国へ向った。四国では朝雲の兄夫婦が新太郎を快く迎えず、自分達の子供とは別扱いに辛い百姓仕事をさせるのだった。東京っ子だからと云ってとかく苛められる新太郎をかばってくれたのは長女のよし子だけだった。やがて戦争が終った。居候の体をもてあましていた朝雲の顔が急に輝いて来た。眼をみはる新太郎の前で朝雲が古い布包みからとり出したのは数本のノミだった。彼は彫刻家だったのである。数日後朝雲は新太郎をモデルに見事な作品を完成した。題して「広い天」……。朝雲がその作品をもって上野の展覧会に向った後、一人残された新太郎は冷遇に耐えかねてコッソリ家出した。しかし無一文のため、大阪行の闇船の船長にペテンにかけられていた。朝雲の「広い天」の評判はすばらしかった。取材に来たカメラマンに新太郎の父田山健三がいた。田山が持ち帰った「広い天」の写真が春子の目にとまり夫婦は親子のめぐり合いに喜んだ。朝雲につれられて二人が西下した頃、闇船の手入れで捕えられた新太郎は再び四国へつれ戻された。そして両親の来るのも知らず、新太郎は再び四国をとび出し東京へ向った。せっかくの親子対面も不運に終るかと案じられたが、新太郎が上京して美術館を訪れたことから感動と喜びの対面が叶った。疎開先で新太郎が彫ったという小さい兎のマスコットが朝雲の目にとまり、幼い弟子となる日も近い。
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その他
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