日本映画情報システムは、日本映画情報(1896年~2021年2月劇場公開の日本映画作品(映倫審査作品)に関する情報)を検索することが可能です。

◎こんな方は・・・
   ・映画のタイトルが分っていて、出演者を知りたい
   ・あの映画シリーズの全タイトルを知りたい
   ・あの監督が撮った作品の全タイトルを知りたい
               ⇒【キーワード検索】をご利用ください

◎こんな方は・・・
   ・タイトル、出演者、スタッフなど複数のキーワードに当てはまる検索結果を出したい
   ・複数ある検索結果を公開年順、配給会社別などに並べ替えたい
               ⇒【詳細検索】をご利用ください

◎検索について詳しく知りたい方は「検索システムの使い方」をご覧ください。

キーワード検索

作品詳細

あゝ陸軍隼戦闘隊
アアリクグンハヤブサセントウタイ

作品名でWeb検索する
カテゴリー
劇映画 
公開年月日
1969年11月01日 
製作会社
大映東京 
配給会社
大映 
レイティング
一般映画  
英語名
The Falcon Fighters  
上映時間
100分  

須崎勝弥が脚本を執筆し、「あゝ海軍」の村山三男が監督した戦記もの。「いそぎんちゃく」の渡辺公夫が、撮影を担当した。

スタッフ

製作
永田雅一
企画
関幸輔仲野和正
脚本
須崎勝弥
監督
村山三男
特撮監督
湯浅憲明
撮影
渡辺公夫
特殊撮影
藤井和文
音楽
大森盛太郎
美術
高橋康一
照明
上原正一
録音
奥村幸雄
スチル
大葉博一
編集
鈴木東陽

ストーリー

昭和四年、加藤建夫中尉は、所沢飛行学校の教官となった。加藤は、二人の優秀な教え子を持った。元聯隊旗手から航空に転じた木原少尉と、中華民国陸軍中尉の趙英俊だった。やがて、日本と中国は戦火を交えることになった。昭和十二年北支戦線に出動した加藤戦闘機隊長は、撃墜王の名を欲しいままにした。ある日、木原が、竜のマークをつけた敵戦闘機に不意をつかれ、戦死した。それはかつての留学生趙英俊の機だった。加藤は、一騎討ちを挑み、遂に撃墜するがその一瞬の焔の色が忘れられなくなってしまった。やがて、内地に帰還した時加藤は家に帰らず、戦死した部下の留守宅を廻り、遺族に詫びその姿に遺族は感動した。加藤は、妻・加寿子に真赤な焔の夢を語った。加寿子は、その焔がいつかは夫をも焼く焔であることを悟り、覚悟を決めた。間もなく、日米は開戦し、最新鋭機“隼”が加藤少佐を長とする第六四飛行隊に配属され、マレー半島に進撃した。緒戦の活躍で加藤隼戦闘隊の勇名は轟いた。そして、パレンバン空挺作戦を山下軍司令官に具申した加藤隊長は、みごと重務を果したが、教え子の安藤中隊長以下数名のかけがえのない犠牲を払わねばならなかった。シンガポールが陥ち、ビルマ進攻作戦が開始された。その最前線基地アキャブで、加藤隊長は、単機、襲来した敵爆撃機を追って、撃墜したが、自からもまた火を発して、ベンガル湾上で壮烈な戦死を遂げた。昭和十七年五月二十二日のことだった。

仕様

  • カラー/モノクロ: カラー
  • 映写フォーマット: フィルム /35mm /ビスタ
  • サウンド: モノラル

その他

このページのトップへ

  • 検索システムの使い方
  • お問い合わせ

お知らせ

[2021/02/25]

映画情報を65件更新しました。

[2021/01/26]

映画情報を51件更新しました。